明日香の城跡高取山


岩に刻まれた羅漢像
 久しぶりに本格的な〜“清く正しいハイキング”、一丁あがり!。
駅から登る山シリーズです。

山  名】  高取山(584m)
【地  域】  奈良明日香
【日  時】  1998年03月06日
【メンバー】  山太 単独
【コ ー ス】  近鉄壺阪山駅→壺阪寺→高取山
        →栢森→石舞台→明日香駅
【天  気】  快晴

高取城宇陀門


 近鉄吉野線壷阪山駅からスタート。最初はちょっとイヤな国道169号線を歩く。民家の中を通ったら良かったと、地図を見ながら後で後悔する。

 国道から壺阪寺の道に入る。5分ほど歩くと谷沿いの歩道があったので、やっとハイキングらしくなった。木漏れ日が気持ち良い。この道は壺阪寺への旧参道らしい、所々に石仏がある。

猿石

 壺阪寺の山門を覗いただけで少し車道を戻ると、高取城跡へ行く車道があった。車はほとんど通らない。春ままだ先か木々はまだ寝ている。
 道標に導かれて山道に入ると五百羅漢岩に出た。新しく立ち並んだ石仏も圧巻だが、岩肌に刻まれた古い羅漢は不気味な空気が漂う。
 ここからちょっと遠回りをして羅漢岩巡回路を歩いてみる。小さな岩、大きな岩、至る所に羅漢像が刻まれている。何とも不思議な光景だ。

 しばらく杉の植林の中を歩く。おお!ウグイスの声が聞こえる〜。一旦車道に戻るとすぐに高取城跡の石標があり、また山道に入った。

 尾根に上がっている細い道とトラバースしている広い道の分岐でちょっと思案する。さあどちらに行くべきか。楽な方に行こう。

 巻き道を歩き車道に戻ったところで、尾根上には八幡神社が有ることに気づく。ちぇ!、登る道を取っておけば良かった。
 いかにも古めかしい石の階段を登り、八幡神社に参拝する。小さい社でこれもとにかく古い。

 また車道から山道に入ると、道の横には城跡の石垣が見えてきた。結構大きい城だったんだわ。まだまだ石垣は続く。視界が開けると、そこは城の入口らしい。
 頂上付近は昨日降った雪が残っている。しかしでかい城だ。大阪城ほど有るで、ホンマです。とにかく広いんだわ、そしてリッパ。ビックリしました。

高取城
 高取山(583.9メートル)山頂に築かれた典型的な山城。南北朝以来、越智、本多、植村氏の居城。
 越智氏の時代(1583年)までは、深谷峻崖の天険を利し、橋梁を設け 木柵を廻らしたカキ上げ城で、本城は貝吹山城であった。その後、郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13(1585)年に本多氏が入城、時の軍学者、諸木大膳技師長となり、石塁を築き土塀を廻らし、本丸に大小の天守閣を起こし、多門を連ね幾多の櫓樓を配して、山城に平城の築城技術の長所を採用し、要害堅固と美観の完成で面目を一新近世的城郭として整備された。
 本多氏が絶えた後、譜代の大名の植村家政が寛永17(1640)年に入城。以来232年明治4(1868)年まで続いた。廃藩まで14代の居城。
 高取城は城内と郭内に分けられる。 城内は約10,000u、周囲約3km。城郭は約60,000u、周囲約30kmという広大なもので山城としては日本一であろう。(国史跡)櫓樓30、門31、土塀延1,600余間、石垣約2,000余間、橋梁9、堀切5ヶ所。
 現在樓閣等ことごとく消滅したが、石塁等は旧規模のまま存し本丸・二ノ丸の約10m余の石垣は昔日の傍観を呈し、更に当初の土塀跡も樹林雑草に隠見する遺構によって察知することができる等、極めて貴重な遺跡である。
頂上の案内板より
亀石


 三角点でおにぎりを食べていると、キツツキの音が聞こえる。ココココッ、小さな鳥の鳴き声も聞こえる。チチチチチッ。カメラを構えたがどれも失敗。鳥を撮すには200ミリでは駄目だわ。

 一旦城の入口まで戻り、芋ヶ峠へ下る。相変わらず道の横には石垣や土塀が続いている。

 猿石と言う不思議な岩がある。何とも滑稽な顔をしている。ここを右に曲がり竹藪をくぐりながら歩くと栢森に出た。

 田舎の道をポクポク歩くのは好きだ。通る車は少ない。視界は広い。気持ちの良い道だ。見覚えのある石舞台を通り、飛鳥駅まではまだまだ遠い。

高松塚古墳


 亀石では白い犬が気ままに散歩していたので、亀石の顔と一緒に撮りたかったがワンチャンは言うことを聞いてくれない。うっとしいオッサンだ、というような顔で去っていった。

 高松塚古墳に斜陽が射す。古墳の内部は空調設備を整えて保存しているらしい。鉄の扉が違和感を感じる
 清く正しいハイキングは飛鳥駅でゴールに着いた。

タイムは、壷阪山9:00→高取山12:00→飛鳥駅16:00という大ざっぱなもんだ。

 〇~~/\/\~~/\~~ 《山太 Santa!》



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