今年の春、囲炉裏の仲間が近百の三国岳に登りました。その時、京都の山口敏晴さんに出会いました。
その山口さんから6月に大笠山に登った時の資料を頂きました。今回はその後追い山行です。
行きは岐阜経由、帰りは金沢経由でぐるっと白山を一回りしてきたのですが、金沢経由のほうが早いようです。
全行程750キロのロングドライブになりました。
(車を停めてすぐ登山口)【日 時】1996年11月14日〜15日(13日夜発)
【山 名】大笠山 (おおがさやま) 1,821.8m
【山 域】白山北部
【天 候】晴れ
【メンバー】こまくささん 山太
【地 図】(20万図)金沢 (5万図)白川村 (2.5万図)中宮温泉
【ルート】14日 桂ダム7:00→9:50天の又10:30→11:30避難小屋
→12:20大笠山13:00→13:30避難小屋
→14:10天の又14:30→16:00桂ダム
桂ダム沿いの道を一番奥まで入ると「登山道桂大笠山線」という標柱があった。ここは境川に橋が架かり、大畠谷の出合いになっている。
正面の尖った岩峰に鉄のハシゴが見える。
「あれ・・何んやろ?。」
「登山道?。」
「まさか・・・。」
その“まさか”である。その岩峰は境川と大畠谷に夾まれたフカバラ尾根の取り付きだ。その岩峰にへばりつくように、登山道がまるで煙突に付けられた鉄バシゴのように上へと伸びている。
車を降りて1分も歩いていないのに、この急登を登らなくてはいけない。まだ身体が寝ているのに〜。
鉄の吊り橋、そして鉄のバシゴと鎖、どれもこれも最近取り付けられたようでピッカピカだ。
みるみるうちに100メートルほど高度を稼ぎ、やっと手を使わなくても歩ける斜面になった。それでも落ち葉に埋もれた登山道は、ズルッズルッと滑る急登だ。
今日の荷物はちょっと重い。記録を見れば往復10時間の行程だから、日帰りで行けそうだった。でも、ちょっと慎重にテントを担いで来た。是非、頂上を踏みたかった。
安心料としては少々重い荷だが、時間をかけてもいい、確実に登りたかった。
(天ノ又までの登り)一歩一歩ぐんぐんと高度を稼ぐ。空は真っ青、今朝はかなり冷え込んだようで霜柱が伸び、うっすらと雪が出てきた。
上の方では真っ白い樹氷がキラキラ光っている。もうすぐその樹氷のところに行けるんだとピッチをあげる。
こまさんは少々遅れ気味で重荷に喘いでいるようだ。どうやらウォーミングアップ無しにフルパワーで登ってきたのだから、ちょっとこたえたかな?。
ダムの標高が550メートルだから1522メートルの天の又三角点まで、一気に千メートル程、ジグザグ無しの直登である。
(樹氷満開、白山を望む)天の又三角点は、東の方の展望が抜群だ。ひときは白い立山連峰。そして乗鞍岳まで峰々が連なっている。
ここで、ふたりとも鍋焼きうどんを炊いてゆっくり休憩する。こまさんは冬の山行にはよく鍋焼きうどんを持ってくる。
アルミホイル鍋に鍋焼きうどんの材料が一式パックになっていて、直接火に掛けて食べられるあれである。そのホイル鍋がいつも穴が空いて出汁が漏れる。
「穴が空いても、よくまあ懲りずに持ってくるもんだなあ〜。」何て思っていたが、あまりにうまそうだったので私も買ってしまった。
やっぱり私の鍋も穴が空いてしまった。(^_^;どうやらこの調子ならピストンして、この天の又までは帰って来れそうなので、ここにザックから露営具を放り出しテポすることにする。
真っ青な空に真っ白い樹氷が見事だ。まったく素晴らしい自然の贈り物。木の種類によって樹氷の咲き方が違うので、次々と楽しませてくれる。
(笈ヶ岳の優美な姿)笈ヶ岳が立派に見えてきた。20年前苦労して登ったのを思い出す。頂上直下で力尽き、尾根上でビバーグした苦い経験がある。
北斜面はまるで採石場のような荒れた岩肌が境川に落ちている。私は雄谷から登ったのだが、この境川はもっと恐そうなところだ。
(倒壊寸前の避難小屋)小さな避難小屋は倒壊寸前、そんなに古くない建物だが、窓と入口がつぶれて傾いている。雪の重さを考えて、もうちょっとしっかりした材料を使わなくっちゃ〜ね。
高岡の方からこんなメールをいただきました。
1998年10月25日(日)大笠山に登りました。避難小屋は頑丈なコンクリートの基礎の丸太小屋になっていました。あなたのホームページの声が聞こえたのかも知れません。
小屋からしばらくはトラバース気味の急斜面だ。右側は大畠谷まで切れ落ちていてちょっとびびる。もう少し雪が多ければかなりヤバイ。
(避難小屋から見る大笠山)稜線に出ると、奈良岳から大門岳へ連なる稜線が見える。こちらも思い出ある山々だが、ここから見るとちょっと山が小さいので少々がっかりする。
樹氷のトンネルを抜けると大笠山のピークだ。\(^O^)/
立派な石標やベンチなど綺麗に整備されている。北アルプス全山がパノラマのように見える。後ろは富山湾だ。やったぜ!バンザーイ!。
(この満足そうな顔、顔)奈良岳からこの大笠を目指したのは、これも20年ほど前だ。その時はヤブで敗退している。私にとって20年来の目標として、「いつかは大笠!」と思い続けていた。
こんなに簡単に登れるようになったのは、ダムが出来たお陰だから、ダムも有り難いものだ。
真っ青な空はいつの間にか白くなり、寒々した秋の風が吹いてきた。立派な樹氷もバラバラと落ちる。
私達、たったふたりに見せてくれた、絢爛豪華樹氷の祭典は、どうやら終幕になったようだ。
テポ地点に戻ったのが2時過ぎ。結構早いペースで降りてきた。どうやらテントを担ぎ上げたのは無駄になったようだ。今日中にダムまで降りることにする。
この天の又の三角点から、ダムまで約千メートルの下りは、よくまあこんなきついところを登ってきたもんだと、我ながら感心する。
おかしくって、おかしくて?、足まで笑い出した頃、ダムに到着する。4時。
その夜は多目的広場でテントを張り、焚き火をして無事登頂を祝う。
夜、降りだした雨は山の方では雪になっていた。
〇~~/\/\~~/\~~ 《囲炉裏 村チョッ! Santa!》
トップページへ | 山旅帳目次へ |