頸城裏金山谷より焼山と火打山


 【日  時】1984年07月19日
 【山  名】裏金山、焼山、火打山
 【山  域】頸城
 【メンバー】山森、高田、山太
 【行  程】笹ヶ峰牧場→裏金山谷→金山→裏金山→焼山→火打山→高谷池→笹ヶ峰牧場


雪渓が切れているところは泥壁で、トラバースが大変

■7月19日
 昨日から降り続いていた雨は、バスが笹ヶ峰に着く頃やみました。広い駐車場は閑散として、登山者は私達以外に2名居るだけです。
 彼らは、高谷池に登る様子です。沢登りにしては、やけに重い荷物にあえぎながら、昼すぎ裏金山谷出合に着きました。
 途中、本流にも雪渓があるのを見て、さすが北国だなあと感心していたのですが・・・。
 ここでイワナでも釣れれば、テントを張っていっぱい食って、酒もいっぱい飲んで、少しでも荷を軽くしようなんて甘い考えでワラジに履き変え、サオを持って沢に入りました。
「なんじゃあ、いったいこれは!!。」
 その水ときたら、今迄体験したことのない冷たさです。足は針を刺すような痛み、そして頭の芯まで、ジーンとこたえて来ます。いやほんま、おおげさじゃあないですよ。これじゃあイワナもまだ冬眠中だ。
 釣りが出来なかったら、ここにおってもしようがない。少しでも足を伸ばしておくか。
 すぐに1番目の滝があった、5m位だが上は雪渓がおおいかぶさっている。右岸のルンゼを登り、トラバースして下を見ると、もうそこには沢はなかった。沢のかわりにあったのは、水蒸気たちこめる冬山だった。
 しばらくは雪渓が続いた。この完全に埋めつくされた雪渓の底に、水が流れているのだから、水温は、ほとんど0度近いだろう、道理で先程の冷たさがうなづける。少しひらけた中州のある所で、雪渓が切れていた。この場所を逃すと、もうテント場はなさそう、あまり快適ではないが、ツエルトひと張りの平地を見つけた。


どうやら助かったのでホットする。

■7月20日
 テントを張った一角を残し、あとはビッシリ雪渓が詰まっている。ワラジに、地下足袋、ハーケンにカラビナ、ナッツ、ハンマーとヘルメット、と言うスタイルで、雪渓を登る格好は何と、不釣り合いな事か。ピッケル、アイゼンが、ホシーイー。
 わずかに、1ヶ所恐いところがあった。数メートルか、数十メートルか滝底が雪渓で埋まって、高さがわからない滝だが、その落ち口がわずかに雪渓が切れて口を開けている。
 右岸も左岸もトライしたが巻けなかった。残す手は雪渓の薄くなっている所から、落ち口をまたいで滝の上に乗っかる。うん、これしかない。
 一応支点をとり、雪渓がくずれても落ちないようにしたが、スリルは満点。
 一人がバランスを崩し、振り子のごとく振られて、かろうじて雪渓の下側に入らず、雪渓の縁にぶつかり、その上を滑って落ちる。アッ!アーア、カメラを構えていたが、決定的瞬間はただ呆然と見ているだけで、シャッターチャンスを逃してしまった。
 幸い大した事なく顔を雪のススで真っ黒にして登りなおして来た。もう一ヶ所、滝が露出している所があったがその後は、稜線まで雪渓が続いている。
 いや稜線まで雪があり、どこまでが雪渓で、どこからが残雪なのか不明。金山と天狗原山の中間の広い尾根に上がった。
岩屋避難小屋。この小屋の上には大きな岩がある

 荷物をテポして天狗原山往復。天気は下り坂で、ガスが立ち込め、天狗原のルートを捜すのに苦労した。稜線には道があるのだが、残雪のため、道が見え隠れする。完全に雪かあると、それなりに歩けるのだが、雪が切れるとヤブになり、道を捜さなければ歩けない。
 夕方とうとう雨が降ってて来た。疲れていたが泊岩までガンバる。


■7月21日
 この日も天気はもうひとつだった。火打山付近は大雨とカミナリで、頂上で立ち止まる事なく早々に逃げ帰った。
 昨日から、天狗原山、金山、裏金山、焼山それに火打山とピークを踏んで来たが、一つとして頂上から遠望できた山は、ガスのためなっかた。
 その夜は、高谷池ヒュッテに泊まる。地元の、100名程の中学生と出くわし、実質的な大自然の山旅は、火打のカミナリがおさまった頃、同じように終わりました。
 と言うわけで、いきこんでいった沢登りが、当てがはずれた山行でした。

            〇~~/\/\~~/\~~ 《山太 Santa!》


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